まじろ帖

日々のこと。

アラスカの音

花は、わかりやすく枯れていくので心がつられてしまう。だから私はベンジャミンやギンバイカを育てているんだと思う。木は安心して見ていられる。

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子どもの頃、世界の端っこみたいな寒い国で夏や冬を何度か過ごした。睫毛まで凍るような冬は白夜のせいで眠れなかった。どうして遮光カーテンを買わなかったんだろう、と今は思うけれど、とにかくあの頃の我が家は子供部屋の窓にアルミホイルをびっしりと貼っていつまでも沈まない太陽の光を防いでいた。

朝になると家の周りに大きなヘラジカの足跡が残っているようなところだった。同じ年頃の男の子と家の前の坂をそりで何度も滑り降りた。それくらいしか遊びがなかったと言ってもいい。

夏は、そこら中の茂みにラズベリーが生えた。ボウルを抱えてラズベリーを摘みに行き、ボウルに入れる間もなくよく食べた。

近くの山に時々車で出かけた。
「これは、熊の足跡じゃないか?」
とあの頃の父は知った風に言っていたけれど、定かではなかったと思う。ただ子どもを怖がらせたかっただけだ。

広い草むらに立つと、風がごうごうと音を立てて耳元を通りすぎていった。冷たい風は今まで嗅いだこともないようないい匂いがした。
「あまり遠くに行かないで」
と呼ばれて振り返り、見慣れたはずの家族はまるで知らない人たちのように見えた。

この人たちと一緒にいるのはたまたまなんだとその時ふいに思った。当たり前のように思っていた強い絆みたいなものは、偶然でしかない。私たちはどうして生まれて死ななきゃいけないんだろう、生まれたいなんて私は頼んでいないのに。この場所は今までもこれから先も変わらないのに、私はいつか死ななくちゃいけない。

その時、そんな風に湧きあがり押し寄せてきたのは、私が記憶している中で一番古い初めての死への恐怖だった。古ぼけた熊のぬいぐるみを抱えてほんの5歳かそこらだった私は、絶望的な気持ちで風の中に立っていた。


iPodのイヤフォンを耳に押し込むと、時々風を切る音が混じる。今の私にとってそれはもうただ単純に懐かしいアラスカの音だ。子どもの頃のように恐怖を感じることもない。それでも風の強い場所というのはいつも私に死を連想させる。

パディントンは風が好きな犬だったので、散歩の途中、坂の上に立って全身で風を受けながら飽きもせずにいつまでも目を細めていた。長い耳がぱたぱたと揺れるのが面白かった。会いたい。