教えてくれる人の不在
熊が、家にやって来た。
柔らかい毛並みをしたとても綺麗な熊だ。
大人しくて賢いゴールデンレトリバーを飼い、優しい旦那さんと長年一緒に暮らしてきたある女性から、その熊は届いた。
飼っていたレトリバーがある日亡くなった。
大きくて力も強い犬なのに、飼い主の二人のことを考え、ゆっくり歩き時々振り返って後ろを確かめるようなとてもいい子だった。ご夫婦でいつも散歩をしていたから坂道ですれ違うとよく立ち話をした。レトリバーは私にお腹を見せようとごろごろ転がり、おじさんはその様子を目を細めて眺め、おばさんは「まぁまぁ!」とか「それにしてもじろちゃん、また背が伸びたのね」とか言って笑っていた。
子どもの頃からずっと知っているので、たとえ二日前の同じ時間に同じ場所で会っていても、今日会えばまた私は彼らにとってなんだか急に大きくなってしまった子どもに見えるようだった。
レトリバーがいなくなってしまって、おじさんもおばさんも寂しそうだった。
「また犬を飼いたいけれど、そうすると今度は私たちが先にいなくなるかもしれないからね」
と言いながら、私の実家の犬を可愛がってくれた。
そうしてこの春に、おじさんが亡くなった。
私はもう実家を出てしまっていてなかなか二人に会うこともなかったので、突然に感じたけれど、急なことではなかったのかもしれない。寂しいけれど、仕方なかった。
おじさんの納骨の日、朝早くにおばさんがタクシーに乗っていくのをマンションの人たちとロビーから見送った。
骨壺というのは小さいんだと改めて思った。
おじさんはどちらかといえば大柄な人だったので、あんな小さい包みのなかにおさまってしまうなんて不思議だった。
夜明け前から細かい雨が降り出していた。おばさんがとてもはっきりと
「じろちゃん、来てくれてありがとう」
と言うので
「はい」
とだけ答えた。
誰かが亡くなって愕然とする気持ちは、最近少なくなったと思う。親しい人たちと会う時「これが最後かもしれない」と心のどこかで考えるようになった。だからと言ってぜんぶ素直に受け入れられるのかというとそんなことは絶対になくて、きっと私はこれからも何度も後悔に押しつぶされるんだと思う。そんな後悔はしなくてもいい、と教えてくれる人の不在に慣れるために。
しばらくしておばさんから熊が届いた。
電話をすると、
「私の終活よ」
とおばさんは言った。
「大切にしてきたものもずっとはとっておけないんだもの。形見分け。受け取ってもらえるかしら?」
と朗らかにおばさんは続けた。
「可愛がってあげてね」
とおばさんが言うので、そのうち実家に帰る時に一緒に連れていっておばさんに会わせてあげられるといいかなと思う。