まじろ帖

日々のこと。

季節には

「いいよ」って許したり許されたり、子供の頃はすごく簡単なことだったのに、歳を重ねるごとにそれがどんどん出来なくなっていって、頭が固くなってしまったのかな。体が重くなってしまったのかな。

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いい空を見てぼんやりとする。

つまらなくなるね、ってそんな簡単な言葉さえも飲み込んで。

「春がくれば」といつも思うけれど、そうすれば生まれ変わったみたいになれるんじゃないかとほとんど信じたりもするのだけれど、膿んだ気持ちというのは季節には持って行ってもらえないのだということを子供じゃないからもう知っている。

近いような

暖かくて静かなところというのは、気持ちがいい。

それが本を読むために用意された場所だというのだからなおさら素敵だ。店内の誰も喋らず、でも誰かのための飲み物や食べ物の支度をする音が常に小さく聞こえていて、たっぷりと注がれたコーヒーからは良い香りがしている。

 

一緒にいても寂しいのなら、正直なところもうどうしたらいいのか私にはわからないのだった。つまらない喧嘩も顔を真っ青にして思い詰めたように声を震わせて話すことも、もうしてもしなくても同じだ。決定的なことは多分もうみんな知ってしまった。

 

猫たちは膝のうえで丸くなる時にくるりと彼らの細いしっぽを私の腕に巻きつける。それは優しくて誠実な行為だと思った。だからそんなふうになりたいと思って私も抱きしめてみたけれど、愛情はおろか殺意に近いような憎しみめいたものも私からは伝えることが出来ないらしかった。

昼間、電気をつけないままお風呂に入る。

湯気が白くのぼって窓の方へ消えていくのを見るのが好きだ。

 

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なかなか書けずにいた手紙をやっと書き終えて便箋をしまい、コーヒーのあとに飲んだKOVALというジンがとても美味しかった。夕方、外で一人で飲むお酒はくっきりと強いものがちょうどいい。

すごく大事なことをすっぽりと忘れてしまったような気がする。だから手当たり次第に本を読もうとするのかもしれないと思った。ヒントが何か残っていないか、手探りで近くを遠くをあてもなく、ただひたすらに覗くのだ

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来月ちょっとだけ京都に行くことにした。

遠くへ遠くへ行こうとするのが私にとって良いことなのか悪いことなのかだんだんわからなくなってきた。

いつもこう。逃げてばかり、と思ってしまう。

思いついてそのまますぐに離れられてしまうような暮らし方も本当はあまり良くないのだろう。

BOOK AND BEDに泊まるので、いつもの旅行のための本はそう何冊もいらなさそう。


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桜にはまだ早いけど、それくらいでちょうどいい。