まじろ帖

日々のこと。

じいちゃんは

じいちゃんが、昨日の夕方に旅立った。
この一年近く、子供の頃と同じくらいしょっちゅうたくさんじいちゃんのそばにいた。ラッキーなことに私は仕事を減らし、時間だけはたくさんあった。
じいちゃんは車いすにも座れなくなって、声も出なくなって眠っていることも多かったけど、でもじいちゃんはいつだって新しかった。
私が持っていったバムとケロの絵本を気に入って、音読すると興味深そうに目で絵を追っていた。
ママが持ってきた世界の美しいお城の写真集もずいぶんぶあついのに最初から最後までページをめくってもらってずっと眺めていた。
ミイラの飛び出す仕掛け絵本に目を丸くしていた。
じいちゃんは絵を描く人だったから、塗り絵帳を開いて色鉛筆を渡すと震える細い手で、すっすっと線を引いた。
「またね。また来るね」
と言うと、頷いた。
元日の朝、会いに行った時に「じいちゃん、お年玉ちょうだい」と私が言ったら目を見開いたのがおかしくてママと笑った。
2月4日、バースデーカードを渡すと頷いた。
98歳だって!やったね!と笑った。

昔、私が欲しい欲しいと駄々をこねたトトロの目覚まし時計を買ってきてくれて、ジリリリリと鳴る音が大きすぎてママに怒られ、じいちゃんと一緒に綿をはさんで改良した。
家に遊びに来るときに、本の間にそっと千円札をはさんでママにもおばあちゃんにも内緒でくれた。
半蔵門のじいちゃんの事務所の近くのレストランでタンシチューを食べてワインを飲んだ。まだ中学生だったけど、じいちゃんはあんまりそういうことを気にしない人だった。
数学を教えてもらった。この時ばかりは温厚なじいちゃんがイライラしていた。
美術で室内を描く課題があった時に、じいちゃんに手伝ってもらったらプロの絵になりすぎてしまっておかしかった。
小学生の頃、私が車の後部座席のドアを外から開けて、まだごそごそしていたのを知らずに車をバックさせ、じいちゃんは私の足を轢いた。白い靴にタイヤの跡がついた。

病院の看護師さんたちが「本当に綺麗なお顔ですねぇ。若い時すごくモテたでしょうね」と言っていた。
そりゃあそうだ。じいちゃんは、ずっとずっと男前で優しくて最高にかっこいい私の自慢のじいちゃんだ。

いなくなってしまって寂しい。
じいちゃんにもう会えないなんて変だな。
だけど、なにかと不便になってきていた体からじいちゃんがやっと抜け出せたことは嬉しくも思う。
じいちゃんはもう自由だ。
絵を描いたり本を読んだり、また出来る。
どのくらい先になるかはわからないけれど、じいちゃんにまた会えるなら私はこの先を生きるのも死ぬのも楽しみだ。
その時にはまた話すことがたくさんある。
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