まじろ帖

日々のこと。

どんなところで飲むパスティスとも

出かけた先のお店でメニューに載っていると必ず注文したくなるお酒というのが昔からあって、私のそれはもうずっと長いことパスティスだった。


20代の真ん中頃、行った先のバーにパスティスボウモアがあれば、私の機嫌は大抵良かったし、バーにはパスティスボウモアはほとんど必ずと言って良いほど置いてあった。

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5月、曇り空の肌寒い日に散歩の途中に寄ったカフェでパスティスを注文し、運ばれてきたガラスの水差しを持ち上げた時、あることに気がついた。


これは私が飲みたかったパスティスと違う。


パリに移動するまで、私たちは南の方で何日かを過ごしていた。そこら中に日差しが溢れ、古く小さな噴水が街の至るところにあった。

大きな教会と小学校、日焼けして埃っぽく眠ったみたいに静かな建物たちに囲まれた街は、夏になればそれでも大きな音楽祭があり、人も増えるのだろうけれど、春まだ初めのその頃、日中でも路地裏はしんと静まり返っていた。表通りに出ればレストランやカフェは呆れるほどたくさんあり、路上にはいくつものテーブルや椅子が並べられている。

ただただ強い日差しと、止まったような時間の中で、昼間から飲むパスティスはそれまで私が飲んでいたものとはまったく違っていた。


でも正確には、その時には気づかなかったのだ。


南仏の暖かな太陽のもとで飲むパスティスは、地球上の他のどんなところで飲むパスティスとも違うということに。


そういうわけで、パリで飲んだパスティスは、どことなくうすら寒い味に思えたし、スーパーで買って日本に持って帰ったパスティスを夏にごくごくと飲んでみても、それはなんだかそれまで大好きだったものとは違っていた。


以来、私の本棚の下の段にはさっぱり手をつけていないパスティスが眠っている。

南で飲むパスティスがどんな風においしかったのかを今年は思い出せるといいなと思う。