骨
「楽しければ笑う」と私は言い放った。
言ったそばから後悔したけれど、でももう言ってしまったし、どちらにしろそれは本当のことだから仕方なかった。
「その目付き」
と、子供の頃からママもパパも言った。時々うんざりしたように。わからないのは、私に流れているのは自分達の血だというのに、見たこともない生き物を見るような顔をして私を見ていたことだった。押し黙ったまま、私は何時間も口をきかず、立ち上がることもしなかった。
「その目付き」と、ユークも言った。
恋人だった人たちはその言葉を言ったり言わなかったりした。
言わなかった恋人に、もしかしたら私は最初から最後までとても優しく礼儀正しく接していたのかもしれないし、もしくは私の表情になど興味がない男の人だったのかもしれない。
言った恋人のことはとても好きだった。優しかったり変わっていたり情けなかったりいい匂いがしたりした。とても好きでいる以上、相手を憎む気持ちに負けないでいることが常に私の課題だった。いつまでもそばにはいられない、と知っていて愛するなんて正気の沙汰じゃないと思っていた。私の醜さを押し付けて目の前から去ってもらうしか好きでい続ける方法を思い付かなかった。
ユークは黙って、それからシャツを羽織った。
「楽しくしようと、君はしない」
と言った。
楽しいことのすぐ裏側は、私が溜めてきたドロドロの吐瀉物だ。とてもじゃないけれどそんなものの上に何も見ないふりをして二人では立っていられない。
ユークが誰とも違うのは、いつまで経っても私を捨てようとしないこと。
このままいつかユークの骨に触ることになるんだろう。
何年先のことだかわからないけれどそうして、それからそういう人生だったと思うんだろう。
瞬間だけ
たとえば恋をして、これがもう全部最後だと思ってもどんなにそうであって欲しいと願っても、その続きが必ずあるということが昔はひどく怖かったけれど、今はそれらは救いのように思える。叶わないから足りないと思うのは間違いだ。見たものすべてを私は深く信じる。ここでは瞬間だけが真実だ。それ以外はすべて失われた曖昧なただの甘いものみたいだ。
飲んでも飲んでも酔わないような、見失わずにいられる灯りや暮れない夜の儚さや頼りなさや、うっかり日焼け止めを塗り忘れた足首がふつふつゆっくりと赤く焦げていく様やそういったものを伝えようとしても正しくは伝える術がないことを美しさで全て帳消しにしようとしている私が、信じるなんて口にするのは馬鹿げているのだろうけれど、グラスの中の冷えたワインがぬるくなるのをただ眺めているなんて、それは違うと思う。
習慣
なだらかな緑の丘がどこまでも広がり、陶器みたいな色をした牛が転々と草を食む。切り取ったように四角く菜の花がところどころに鮮やかに揺れていた。雲が低く広く立ち込めて、雨が降ったり青空を覗かせたりせわしないのも良かった。TGVに乗ってパリまで移動する三時間、外を眺めたりうとうとしたり持ってきた本を読んだりする。あっという間だ。どこへ行こうとしても。
結婚して、じわじわと自分がどこにいるのかがわからなくなった。わからないままにただだらだらと生きている自分が嫌だと思った。景色を美しいと思えなくなり、美しいと思う時は決まって胸の中から喉元までみんな腐ったみたいな匂いがした。汚い汚い、と思うと外のものがすべて余計に輝いて見えた。そういうことにももう慣れて、輝くものにただ憧れる習慣だけが身についた。自分の身は何をどうしても醜いのだった。遠くに行くと、そういうものはなかったみたいになるのが嬉しいと思った。
パレードの終わり
マルセイユに食事をしに出かけ、バスで戻ってくるとエクスアンプロヴァンスの街ではちょうどカーニバルのパレードが始まったところだった。子どもたちがハロウィンのように仮装をし、ピエロがカラフルな紙吹雪の詰まったパックを売り歩く。ミラボー通りの人混みの中で、陽気な音楽と大きな操り人形(カメレオンや鳥、進撃の巨人みたいな大きな人間)がいくつもゆっくりと目の前を通りすぎて行った。肩車をされて高いところから紙吹雪をばらまく小さな女の子の笑顔がスローモーションのように見える。今年の春はいつもよりも風が冷たく、私は持ってきたセーターだけではとても足りずにユークのフリースを借りていた。黙って立っているとかたかたと震えるほど寒い。それでも歩き出すことが出来ずに人々を音楽を鮮やかな行進を見てしまう。パレードの終わりは、どんな国のどんな規模のものも頭が少しぼーっとして寂しくていい。見届けるのが、好きだ。