まじろ帖

日々のこと。

習慣

なだらかな緑の丘がどこまでも広がり、陶器みたいな色をした牛が転々と草を食む。切り取ったように四角く菜の花がところどころに鮮やかに揺れていた。雲が低く広く立ち込めて、雨が降ったり青空を覗かせたりせわしないのも良かった。TGVに乗ってパリまで移動する三時間、外を眺めたりうとうとしたり持ってきた本を読んだりする。あっという間だ。どこへ行こうとしても。


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結婚して、じわじわと自分がどこにいるのかがわからなくなった。わからないままにただだらだらと生きている自分が嫌だと思った。景色を美しいと思えなくなり、美しいと思う時は決まって胸の中から喉元までみんな腐ったみたいな匂いがした。汚い汚い、と思うと外のものがすべて余計に輝いて見えた。そういうことにももう慣れて、輝くものにただ憧れる習慣だけが身についた。自分の身は何をどうしても醜いのだった。遠くに行くと、そういうものはなかったみたいになるのが嬉しいと思った。

パレードの終わり

マルセイユに食事をしに出かけ、バスで戻ってくるとエクスアンプロヴァンスの街ではちょうどカーニバルのパレードが始まったところだった。子どもたちがハロウィンのように仮装をし、ピエロがカラフルな紙吹雪の詰まったパックを売り歩く。ミラボー通りの人混みの中で、陽気な音楽と大きな操り人形(カメレオンや鳥、進撃の巨人みたいな大きな人間)がいくつもゆっくりと目の前を通りすぎて行った。肩車をされて高いところから紙吹雪をばらまく小さな女の子の笑顔がスローモーションのように見える。今年の春はいつもよりも風が冷たく、私は持ってきたセーターだけではとても足りずにユークのフリースを借りていた。黙って立っているとかたかたと震えるほど寒い。それでも歩き出すことが出来ずに人々を音楽を鮮やかな行進を見てしまう。パレードの終わりは、どんな国のどんな規模のものも頭が少しぼーっとして寂しくていい。見届けるのが、好きだ。


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朽ちて

村は小高い丘を囲むようにして作られていて、家々を眺めながら坂道をのぼっていくとほとんどの村の頂上には古い教会があるのだった。それらのほとんどはもう使われなくなっていて、朽ちていく建物の周りを草や花が覆い、のんびりとした猫がいる。今も昔も、あまり変わっていないんだろう。見おろすと、新しく建てられたのであろう、それでも軽く100年は経っているどっしりとした教会と赤茶色の屋根が続いている。いい風が吹いて、猫が目を細める。どこにいても忘れられないことがあり、私の中でそれらが朽ちるにはまだ早いのだろう。
「じろちゃん、おいで」
とユークが言う。
「次のバスが来るまでワインを飲もう」
と。坂をくだって行った先に小さなカフェがあった。
猫にさよならを言う。


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今年は寒い、と一年ぶりに会ったオリーブさんが言った。
街の真ん中のマルシェで、オリーブの木で作ったフォークやスプーンやチーズ入れ、ボウルなどを売っている人なので、私はオリーブさんと勝手に呼んでいる。名前は知らない。2年前に初めて話してバターナイフを一本買い、去年はスプーン2本を買った。今年はコーヒーを片手に自分の店をほったらかして近くをふらふらしていたらしいオリーブさんが戻ってきて、私たちを見るとごく普通に手を振り「Bonjour. Ca va?」と言った。「久しぶり。元気だった?」というところから始まり、とにかく今年は寒いね、という話に落ち着く。
「昨日は雪でも降るみたいに空が真っ白だった」
とオリーブさんが言い、そういうふうに説明出来るのはいいことだと思った。きちんと想像できた。白にももちろん種類があるわけで、その中でも「今にも雪が降りそうな空の白」というのを、私たちはお互い知っていたのだ。年に一度、晴れた4月の朝にほんの少し会うだけだというのに。
「starは、日本語では何?」
と言うので「星」と教えた。どうして?と聞いたら、たまたま思い付いた、と笑っていた。
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あの子達

今年もフランスへ行く季節がきた。

今年は猫たちが家に来たので、置いていくのが心配で、長い旅行に行くのは気が引けるけれど、彼女たちは私のママにとてもなついているので、案外大丈夫なのだろう。私以外の誰も彼もが「あの子達は大丈夫よ。いってらっしゃい」と言う。

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 生まれ育った場所以外を好きでそこへ行くことを「帰ってきた」と表現するのがあまり好きじゃないけれど、エクスアンプロヴァンスのあの光があふれる泉の街のことを思い出すと、帰るという言葉は正しいような気がしてしまう。