まじろ帖

日々のこと。

来月ちょっとだけ京都に行くことにした。

遠くへ遠くへ行こうとするのが私にとって良いことなのか悪いことなのかだんだんわからなくなってきた。

いつもこう。逃げてばかり、と思ってしまう。

思いついてそのまますぐに離れられてしまうような暮らし方も本当はあまり良くないのだろう。

BOOK AND BEDに泊まるので、いつもの旅行のための本はそう何冊もいらなさそう。


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桜にはまだ早いけど、それくらいでちょうどいい。


全部ということ

中古のカメラをひとつ買った。

ちゃんと写るのかはわからないけれど、可愛かったので。

外を歩きながらぱしゃりぱしゃりととりあえず何にでもシャッターを切る。ハーフサイズカメラなので27枚撮りのフィルムは倍の54枚撮れることになるらしい。よくわからないけど。

見たものすべてを記憶に残しておこうなんて欲張りかな。

ふとした時に思い出して喉の奥が詰まるような感覚になる。

でも全部望もうとなんて、私は本当にしていたかな。

 

冬がもうすぐ終わる晴れた日の午後、離れなければ優しくなれないなんてもったいないと思った。

冷たい空気もすぐそこまで来た春も、分けあいたい。

それが、全部ということか。

色濃く

スタバの桜シリーズが始まった。

これは私の春の準備。

桜ほうじ茶を買ってきて、あとは洗面所で朝、顔を洗うときに「冷たーい」と言わなくなれば春だ。

木蓮のつぼみを眺めながら歩く寒いこの時期はとても楽しい。

 

一年はあっという間に色濃く過ぎる。

何が起こっても大丈夫であろうとすればするほど些細なことに胸が痛むので、せめていつも変わらないものをそばに置こうとするのかな。

またひとつ猫たちと迎える新しい季節が来ると思うと、柔らかな気持ちになる。f:id:urimajiro_o:20170215183808j:image

すらり

眠っている山椒。

1月はとても穏やかに過ぎていった。

寒さに首をすくめ、家までの道を歩いていると、少しずつ春に近づいているのがわかる。木や草が、くつくつとその体をのばしていく。

 

私は冬が好きなので、このままでいいとも思うけれど、半袖からのびるすらりとした腕を見るのも好きだ。

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冬の形

厄払いに行ってきた。

同い年の幼なじみ6人で川崎大師へ。f:id:urimajiro_o:20170126190521j:image

年末、どうして話せなかったんだろうと時々思い出す。

嘘をついたわけではないけれど、言えなかったことがあって、それが気になるまま年が明け、私は何事もなかったかのように、空気のぴんと張った寒い理想的な冬の形を楽しんでいる。晴れた遠い高い空も。柔軟剤の柔らかな香りが残るシャツを重ねて着ることも、魔法瓶にお湯をいれて持ち歩くことも。

 

じいちゃん

じいちゃんが、ぐっと年をとった。

体に悪いところはなく、ご飯もゆっくりとだけれど完食出来るし、会いに行くと「おぉ」と嬉しそうに笑ってくれたりするけれど、でもじいちゃんの生命の光(みたいなもの?)はこのところずいぶん静かになったと思う。悲しいとか寂しいとはまったく別の場所で動く何かがある日ふわりとじいちゃんを連れて行ってしまうんだろう。後悔や未練のない別れなんてこの世界にはひとつもないと思うしじいちゃんと離れるのはとても嫌だけど、でもじいちゃんが生きてきた時間に途中から加わることが出来た私が幸せ者だということだけはよくわかる。

「じいちゃん」

と呼んで手をつなぐと、窓の外を見ながら

「いい天気だな」

と頷く。

もうすぐじいちゃんの誕生日だ。
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